生きていると、誰だって「イヤだな」と思う瞬間に出くわしますよね。
嫌な上司のひとこと、SNSでの心ないコメント、家族とのちょっとした衝突…。
そんなとき、つい「言い返したい!」とか「正論で論破してやる!」なんて思っちゃうこともあります。
でも本当にそれって、ベストな選択肢なんでしょうか?
勉強の本当の目的って?斎藤一人さんの言葉に衝撃を受ける
ある日、斎藤一人さんのこんな言葉を耳にしました。
「オレたちはケンカするために勉強してるんじゃないんだよ。」
頭をガーン!と殴られたような衝撃でした。
「え、私、なんのために勉強してきたんだろう…?」って。
昔の私は、テストでいい点を取るため、資格を取るため、
人に勝つために勉強していました。
もっと正直に言うと、自分の意見を通すためとか、
相手が間違っていることを証明するため…そんな気持ちがあったと思います。
意見が違うときどうする?知識を振りかざした私の後悔
友だちと意見が合わない時には、
「でもさ、本にはこう書いてあったよ」なんて、浅い知識を振りかざしてました。
でも、勝ったところで残るのは気まずさと、ぎくしゃくした関係だけ。
「私、間違ってないのに!」ってモヤモヤして、なんだか虚しかったです。
一生かけて取り組む、調和を生むための学び
一人さんの言葉がきっかけで、気づきました。
勉強って、ケンカするためじゃなくて、
自分の考えと相手の考えを ”うまくすり合わせるため” にするんじゃないかって。
自分も、相手も、社会も、みんなが「いいかもね。」って思えるような
「調和」を作るために学ぶんだ、って。
もしかしたら、一生かけても学びきれないかもしれない、大きなテーマですね。
どうでもいいことで「カチン」と来る?!家族との会話
それ以来、イヤなことや対立が起きたときは、
「ここで戦う必要ある?」って、立ち止まるようにしています。
私は国家プロジェクトに関わっているわけじゃないし(笑)、
たいてい、どうでもいいことで「カチン」と来てるわけです。
特に家族との会話なんて、気づけば言い合いになりがち。
そういう時は、一人さんの「ケンカするために勉強してるんじゃない」を思い出し
「そうなんだね~」と流して、ささーっと退場。
負けるが勝ち、じゃないけど、
離れることで、心も落ち着くし。
お互いの傷を最小限にできる気がする。
小さな小競り合いを減らす、平和に暮らすための勉強を
小さな小競り合いが、大きな衝突につながることもある。
だからこそ、平和に暮らすために勉強したい。
みんな、自分の世界があって、それを守るには距離感も大事。
踏み込んで「批判やケンカ」より、撤退の「調和」を選んでいきたいなぁと思います。
皆さんにも、「負けるが勝ち」だったなぁと思った経験、ありますか?
よければ、ぜひ教えてくださいね。
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