全てが過剰にある今|これからの人付き合いは〇〇を贈る

生活改善・向上

こんにちは。私です。
いつも読んでくれてありがとう😊

学校や警察から不審者情報メールが送られてくるんだけどさ

「子どもが知らない人に 顔をじっと見られた」という不審者情報が来たんだよ。

家に帰った子どもが「怖かった」と話したところ、その保護者が警察に通報したそうな。

そのメールを見て、私も怖くなった。
「あれ、〇〇ちゃんかな?」って子どもを見てたら、通報されるんじゃないかって。

同じ町内に住む子ども達は、あっという間に成長して、誰かわからんし。
久しぶりに会った親戚みたいになっちゃう。

あぁ、じっと見るんじゃなくて、声かければいいんか。

と思えば「学校終わったの?」と声をかけられた との不審者情報が届くw

学校帰りの子らに 飴ちゃん配る おじいちゃんおばあちゃんも
昔なら「うれしい、ありがとう」だけど、今は「不審者」になっちゃう。

そりゃそうだ と思ってしまう自分に 自信がない。
子どもに「知らない人から モノをもらってはいけない」と教えるけど
それは「知らない人は悪」と教えることにならないだろうか?
人を疑いの目で見るように ならないだろうか?

昔は、良くも悪くも狭いコミュニティで暮らしていて、せいぜい友達の友達とかで 相手がどんな人か、うっすらわかっていたけど。

今は、新しくできた住宅地に どこかから集まってきた「知らない人たち同士」で暮らしてる。そもそも朝から晩まで仕事でほとんど見かけない。
子どもは学校終わったら習い事で、外で遊んでいる子たちがほとんどいない。ていうか、遊ぶ場所もない。トラブルをさけ、一見平和。息をひそめるように暮らしてる、ほぼ知らない人同士。

そんな状態だから、「たくさんあるから おすそ分け」とか「ちょっと子供を見ててもらう」とか。昔はよくあった「近所づきあい」をするのが難しい。
もちろん、誰も嫌な顔しないだろうけど、相手には心理的負担になっているような気がする。
お互い、申し訳ない、申し訳ないと。気のせいかな?

昔、そういう「近所づきあい」ができてたのは、ただ 隣に住んでいるから だけじゃなく、すでにある程度の人間関係があったからだろう。今はそれがない。

そう、住宅地で人に囲まれて住んでいるとはいえ、近所づきあいどころか、ほとんど会う機会がない。
以前、カラスが荒らしていたゴミステーションを近所の人と一緒に掃除して、その時に世間話なんかしたりしてたけど(カラスが起こしたトラブルで近所づきあいできてたなんて・・・なんか深い。)

荒らされないように、厳重なボックスを用意してから、それもなくなった。
町内会も負担を減らすようにと、どんどん縮小され、ホッとしている反面、隣人を見かけるのも年に1回とか2回とか。何年も見かけない人もいる。

人間関係があって、その上での「おすそ分け」や「親切」「お手伝い」なら受け入れてもらえるのかもしれないが、人間関係が育ってない所に、好意を持っていくと、
人もモノも情報も過剰な今、面倒が1つ増えてしまったという事になりかねない。

今のところ、お金でほとんどの事が解決できるので、あとくされがない、そっちが好まれるのかなと思ってる。

優しい人が多いから、お金を通さないと、自分が都合よく使っているんじゃないかと 居心地 悪くなるのかもしれない。

散り散りになった人間関係は楽だけど、どこか寂しい。

家族ともよそよそしい中、家族みたいな付き合いを求める。

確かに、知らない人にじっと見つめられるのは 気持ち悪いよね。

せめて、近所の人と認識してもらえるよう、挨拶しないとね。
なんて 小学校の先生みたいなこと言っちゃうんだけど。

物をあげるより、「あなたを知ってますよ。」が伝わる「挨拶」を贈るのが 一番 喜ばれるし、自分がされても 嬉しいんじゃなかろうか。

うちの近所では、挨拶は当たり前じゃなくなった。そりゃそうだ。人が多いところでは、挨拶もキリがない。

だからこそ、自分のコミュニティの中では率先して挨拶することにした。
まずは家族。そして近所、会社。私ができるのは そんなちっさな事だけど

何にもない時のあいさつから、きっと広がっていくんだよね。育っていくんだよね。
毎日届く 不審者情報を見て そんなことを考えております。

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