🌿普通に生きる人の”人生”の意味

心のモヤモヤを解きほぐすヒント
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一般の民が、面白おかしく、されど誇り高く暮らすために


豊かさが満ちたこの時代。
「人の役に立て」「命の意味を見出せ」と、いつしか当然のごとく叫ばれるようになった。

……だが、思うのだ。
そのハードル、天高く掲げすぎではないか?

もちろん、でかい目標を持つのも悪くない。
だが、その目標……己の器を超えていないか?


目に見えぬ社会のプレッシャーに疲れた私は最近、天に還った祖父と祖母のことを思い出す。
彼らは特別なスキルを持っていたわけでも、有名でもない。
家事をし、畑を耕し、病院へ通い、静かに暮らしていた。

でも彼らは、“ただそこに居るだけ”で私に安心を与えてくれた。
それだけで、私の世界は守られていた。


私は思うのだ。
誰も私に、世界を変える力なんて期待していない(たぶん)。

私が今日も元気そうにしてる、
周囲の人々は、それだけで尊いと思ってくれている……はず(笑)


だから私は、自らの手の届く範囲で、できることから始めようと思う。
家の掃除や家族の食事作り、何気ない会話、仕事、
そして自分の身体や心の健康を保つ。

それらが自然にできるようになって、心に余裕ができたとき、
自分の手の届く範囲が広がって、初めて次の「階(ステージ)」が姿を現す。


階段を上っていく者の中には、
世界を変えるようなスケールのでかいことやる人も出てくる。
それは素直にすごい。

「だったら、みんなやらないと!」

……イヤ、待ってほしい!

全員が世界を変える存在となったならば、
この世界はバランスを失い、混沌へと堕ちる……(笑)


だからこそ、自分の「器(うつわ)」に見合った生き方こそ、
この世界に生きる「命としての意味」ではないのか。


「凡人じゃダメ! うちのメソッドで、3日後に億万長者!たったの100万円で参加OK」

無理を強いる声など、惑わす幻影にすぎぬ。
それは、心を疲れさせる悪徳商人の囁き

そもそもお母さんに言われただろう?
「人は人!」


“普通”でいいじゃないか。
あなたの普通は、私の特別かもしれないのだし。

外野に惑わされず、己の心に従い、誇りを持って生きていく。


我ら、一般の民は、一般の民らしく、
手の届く範囲を大切に、確かに生きる。

……それが、一番平和だと思うのだが、どうだろうか?

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