こんにちは。
「やらなきゃ」「やったほうがいいけど…やる気が出ない」
そんなふうに思い続けていること、ありませんか?
私は旅行のときに便利そうだと、フランス語や英語の本を買ったものの、ずっと本棚に置きっぱなしでした。
その本を見るたび「やらなきゃ」と思うけれど、やらない。
「やろうと思ってるんだけどねぇ~」を何年も繰り返してきました。
でも最近、ふと思ったんです。
「やらなければ!と思ってできないなら、もうそれでいいんじゃないか?」
どこかの漫画のセリフのようですが、
「今はそのときではない」と思えてから、気持ちが軽くなりました。
だって、別に困ってないんですよね。
敏感期って?~興味は自分の中から湧き上がる~
この気づきのきっかけは、子育ての参考に読んでいた
「モンテッソーリ教育」の本でした。
モンテッソーリ教育には**「敏感期」**という考え方があります。
それは、ある特定のことに強く興味を持つ時期のこと。
たとえば、3歳の子どもが「折り紙の角と角を合わせて折る」という活動
(モンテッソーリでは“お仕事”と呼ぶ)を、何十枚、何百枚と折り続けることがあります。
大人が止めずに見守っていると、ある日ふと興味を失い、別の活動へ移っていくのです。
子どもたちは計画的に「今日は集中力を鍛えるために折り紙を折ろう」なんて思っていません。
**「なんかおもしろそう」**だけで動いているんです。
自分の中から湧き上がる興味に従って学ぶのが、
一番自然で、深い学びになるとされています。
モチベーション維持できないのはなぜ?大人にも“敏感期”がある?!
そして、大人になった私たちも、
その本質は子どもの頃と変わっていないのかもしれません。
大人にも、自然と何かに夢中になれる時期がやってきます。
たとえば、仕事が終わって疲れているはずなのに、夢中で手を動かしてしまう。
周りからは「勉強してるな」と見えるけれど、本人はおもしろくて仕方ない。
それって、まさに“敏感期”じゃないですか?
だから、「やったほうがいい」「得になりそう」といった
打算的な理由で無理に始めても、うまくいかないのは当然。
だから、やる気が湧かない自分を責めなくてもいいんです。
それよりも、内から溢れる
パッション!プゥワッション❤️🔥
この“なんかおもしろそう”の気持ちを大切にして動いてみたほうが、
ずっとうまくいくと思います。
一見ムダなことの中にあるもの~何千時間?!ネット中毒~
たとえその「おもしろそう」が、ゲームでもYouTubeでもネットサーフィンでも。
一見、無駄に思えるようなことに何年も没頭して、
あるとき「もういいや」と思えるようになってから、
新しい興味が自然と湧いてくる。
私自身も、YouTubeやゲームに何百時間(もしかすると何千時間…😱)も費やした時期がありました。
正直、もったいない事をしたなと思っています。
でも私にはそれしかできなかったんです。
その結果、「もういいかな」と思えるようになって、
自然と興味が他に移っていきました。
これもまたモンテッソーリの「お仕事」と同じじゃないでしょうか。
納得するまでやって、自然に次に向かっていきます。
大人になると見えづらくなる敏感期
子どもの頃は、時間を自由に使えたからこそ、
敏感期に気づきやすかった。
でも、大人になると、学校や仕事、
そして「常識」が優先されて、
自分の興味に鈍感になりがちです。
「無駄なことはしたくない」
「人の目が気になる」
そんな理由で感情を抑え込んでしまう。
そして気がつけば、
**「私はダメだ…なんでできないんだ…」**と、
自分を責めてしまう。
でも、そんなふうに自分を責めてしまうことも、
実は、学びの一環かもしれませんよ。
自分を追い込んだからこそ、
ようやく気づける何かがある。
そう思うと、私たちの内側って、
なんて健気な「学びシステム」なんだろう
と思えてきます。
自分の気持ちor他人の気持ち、満足させるのはどっち?
だから、動けるときに動く。それでいい。
一人一人に違う学びが待っています。
他人から見たら無駄に思えることかもしれない。
でも、自分の気持ちを決めるのは他人ではありません。
自分の心に素直に従って生きる「満足」をとるか、
他人の評価をもとに「不満足」をとるか。
もしかしたら、自分の気持ちも他人の評価も
どちらも「満足」があるかもしれないですね。
すべて順調に進んでいる
良くないように思える出来事も、
のちに**「だからこそ今がある」**と思える日がくる。
すべて順調に進んでいる。
もし、そう思えなかったとしても、
「周りの人はそう思ってるらしいね~」くらいに頭の片隅に置いて、
気分が上がる方、プゥワッション❤️🔥を感じる方を選びながら進んでいけば、
気づいたら、いつの間にかトンネルを抜けています。
1か月後かもしれない、1年後かもしれない、10年後かもしれない。
思い返せば、私はいつも、そうやって進んできました。
その繰り返し。そして、今もきっとその途中。
子どもの頃の自分を思い出すのが、
人生に満足する「鍵」かもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
良い一日をお過ごしください🌿
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