私は、ひとつ猛烈に子育てで後悔していたことがありました。
……あれ、なんだったっけ?
(最近ほんとにすぐ忘れちゃって。)
えーと、確か…「腰骨を立てる育児」……何の本だったか……昭和の子育て本で、
**「子育ては腰骨を立てさせることから始まる」**みたいなことが書いてあったと思います。
(あとで調べておきます)
その本の中に、こう書かれていたんです。
「子どもが初めて靴を履いたその日から、靴は脱いだら揃えるものと意識させれば、自然と揃えるようになる。最初が肝心だ。」
うちの子どもたちが小学生になってからその本を読んだ私は、心の中で叫びました。
「あぁ……もう遅かった……!」
幼稚園のころから「靴そろえようね~」「くるりんぱだよ~」「揃ってると気持ちいいね~」なんて、何度も声をかけてきました。
でも、何度言っても脱ぎっぱなし。玄関は毎日、足跡の化石みたいに靴が転がっていました。
「最初が肝心だったのか……うちの子たちはきっと大人になっても靴を揃えないだろうな……旦那もそうだし、しくったなぁ……」
そんなふうに思っていた時期がありました。
あまりに後悔しすぎて、会うお母さんや妊婦さんに「靴は初日から揃えさせるのが大事だよ!」って、鬼リピしてた時期もありました(笑)
それでも結局、靴のことは諦めたんです。
でも、玄関がグチャグチャなのはやっぱりイヤなので、私が自分のために家族全員の靴を揃えていました。
最初は「なんで私がみんなの靴揃えなきゃなんないの!!」とプンスカしてたんですが、
そのうち、どこまで美しく揃えられるかにこだわりだし、履いてない靴はすべて下駄箱にしまい、玄関を自分の作品にするかのように遊んでいました。
「玄関を制する者は人生を制する!」って本気で思ってました。(そのころ風水にもハマってたので😂)

そして月日は流れ……
妹の方が小学校高学年になる頃、靴を揃えるようになったんです。
マジで!?ありがとう!!!靴揃えてくれてありがとう!!
その日を、私は今でも覚えています。
でも兄の方は……中学生になっても変わらず、足跡のまま脱いでいました。
「まぁ、男の子ってこんなもんか……。未来の息子のお嫁さん、ごめんな……しつけきれなかった……😢」
と、もはや靴のことなど忘れかけていた、ある日。
中学3年生になったその瞬間。
なんと、息子が靴を揃え始めたんです。
一度ならぬ、二度、三度。
毎日ちゃんと揃ってる。玄関に並ぶ、きれいな靴。
「まじか……そんなことってあるんだ……!」
扉をバーン!と開けて、叫びました。
「息子!!靴揃えられるようになったんだね!!ありがとう!!!」
泣きそうでした。本当に。
「どうして急に?」と聞きたかったけど、
うざい母親になりそうでグッと我慢しました。
思うんです。
靴ひとつのことだけど、
**子育ては、気長〜に見守るしかないんだなぁ。**って。
私が毎日揃えていたこと、きっと見ていたんだと思います。
子どもはいつも、親を見ている。
そして私は少し、ほっとしたんです。
親が必死にならなくても、子どもはちゃんと育つ。
それ以来、私はこう思うようになりました。
子どもが言うことを聞かない。
「問題だ!」と思うときこそ、自分を振り返るチャンスだと。
それは、「もっと頑張らなくちゃ!」ではなく、
無理をしていないか、自分を大事にできているかどうか。
世間のモノサシから少し離れて、
自分のペースで過ごせているか?
必要以上に自分を追い込んでいないか?
子どもがうまくできないことに腹が立つのは、
実は自分の余裕が足りていないからかもしれない。
そんなふうに自分を見つめ直してみると、
子どもに対する見方も、少しずつ変わってきました。
ギャーギャー言わなくても、
子どもは自分で考えて、自分の中で折り合いをつける練習をしている。
「言われたからやる気なくなった」って、確かにそう思わせてしまうかもしれない。
だったら私は、もっと大きな目線で物事を見る人でありたい。
そんなふうに、伝え方も少しずつ変わってきました。
今日やって、明日すぐに結果が出ることじゃない。
でも、ほんの少しずつ、少しずつ。
1年、2年……
振り返れば、ずいぶん変わってきたなと思えます。
子どもは必ず大人になります。
一番そばでその成長に影響を与えるのは、やっぱり親です。
だから、子どもを叱るより、
「大人の余裕」を見せつけていく方がうまくいく。
……そう思えるようになりました。耳が痛いけど。
まずは自分自身を躾けている、今日この頃です。
(余裕を持てるように、まぁいっか!と流す事も多い🤭)
最後まで読んでくれてありがとう😊
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