今日はスピリチュアルな話です。
苦手な人も、ちょっと寄り道気分で読んでみてください。
先日、いろいろ“見える”という人にお話を聞いてきました。
…大丈夫です、何も買わされてません(笑)
霊的なもの、オーラ、目に見えないエネルギー、そして――寿命まで見えるらしい。
「寿命なんて怖い!」と思うでしょ?
でも、私は…聞いてきました(笑)
ただそれは「絶対」ではなく、
“今の生活をこのまま続けると、このくらい”という目安のようなもの、そうとらえてくださいとのこと。
私の寿命は「70代」
私の寿命は70代でした。
数字を聞いたとき、驚きはなかったです。
なぜなら、私の想像もこんな感じだったから。
100歳まではさすがに無理そう。
90歳…ちょっと怪しい。
80歳…うーん、どうかな?
70歳…いけるやろ。
60歳…今と変わらんだろう。
ということで…自分が想像していた範囲内でした。
自分でも何となくわかっているのかもしれませんね。
「心の状態が寿命に大きく関わる」とも聞くし。
桜を見られるのもあと30回。
おせちを囲めるのも30回あるかないか。
という事になる。
数字にすると、毎日が大切に思えてきます。
死ぬことは避けられない。
だからこそ「残り30年弱をどう生きるか」から目をそらさずにいたいです。
もちろん寿命が延びるなら大歓迎。儲けもんです🥰
ちなみに私は「ピンコロ」を目標にしているので、家族にも伝えています。
「もし突然パタッと逝ったら、それは私の望んだ最期。
びっくりするかもしれないけど、私は“してやったり”と思ってるから気にしないでね」って。
人生は自由に見えるけど、限られている
もうひとつ教えてもらったのは、
人には“器”とか“身の丈”というものがあって、できることに限りがあるということ。
つまり――誰でも大谷翔平になれるわけじゃない。
…まあ、そりゃそうだ(笑)
実際、地球規模で見れば私たちは小さな範囲で一生を終えていきます。
ちょっと身もふたもない話だけど。
それを聞いて最初は少し悲しくなりました。
「私の人生は唯一無二で、奇跡で満ちている」――そう信じてきたから。
でも考え直すと、逆に「それで良いじゃないか!」と思えてきました。
私の人生はちっぽけなものかもしれない。
それなら
もう、やりたいようにやるしかないじゃん。
確かに人生は、大きな視点から見ると「お釈迦様の手のひらをグルグル回っているだけ状態」なのかもしれません。
でもそこで、好きなように生きることができたら、少なくとも私は満足できる。
背伸びして、階段を上ることを繰り返す
好きなように生き、自分が満たされれば、周りに目を向けられる。
自分と身近な人を大切にできれば、やがて暮らす環境へ、地域へ、国へ、地球へと大きく広がっていくかもしれない。
誰もが大統領になれるわけじゃないし、誰もが世界を動かせるわけじゃないけど
自分や家族や友人を大切にすることはできる。
そして、身近な小さな輪を大切にしていれば、自然と大きな輪につながっていくんじゃないだろうか。
0から100を目指すとしんどいけど、
0から1へ、1から2へ、少しずつ積み重ねれば――
気づいたとき「あれ、もう99じゃん」なんてことになるかもしれない。
少し背伸びして1段のぼる。
また背伸びして、もう1段のぼる。
その積み重ねが、人生なのかもしれないな。
こうありたい、思った通りに人生が形作られる
大谷君にはなれなくても、
毎日ちょっと運動して、健康に暮らすことはできる。
大富豪にはなれなくても、
小金持ちくらいにはなれるかもしれない。
世界中を飛び回るのは無理でも、
年に一回くらい海外旅行は行けるだろう。
海外旅行は無理でも、
年1回くらい温泉に行っている。
――こんな風に、自分が「これくらいならできる」「こうありたいな」と純粋に思ったとおりに、人生は形づくられていくみたいです。
これがいわゆる“引き寄せの法則”なのかもしれないですね。
かじ取りの時間を奪われる現代、どう生きるか
寿命を意識したとき、同時に「どう生きたいか」も見えてきます。
大事なのは、
「自分の現在地」と「どこを目指したいのか」をはっきりさせること。
そのためには――
スマホを置いて、ただぼーっとする時間。
これこそ、今の私たちにいちばん必要なのかもしれません。
話のネタにと聞いたスピリチュアルな話でしたが、結局のところ、人間は意外と“自分の答え”をもう知っているのかもしれないな、と感じました。
だからこそ――
「私の人生、こんなもん」と思う心の、少し斜め上を行く勢いで進んでいきましょ👍
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