ども!こんにちは。
2020年1月に出版された「あやうく一生懸命生きるとろころだった」を読み終えました。
表紙は白いブリーフいっちょの男性が、ぐでーんとうつ伏せになっているイラスト。なるほど、筆者はブリーフ派か(そうじゃない)
自由気ままの象徴?猫が遠慮なく背中に乗り、伸びをかます。
傍らのコーヒーからは魂とも見える湯気が上る。
酒とつまみを用意したけれど、ささやかなグリーンを眺めるだけで俺は満足だぜ・・・と男性の口元は微笑んでいるようだ。
おーい私、疲れてる?
筆者のハ・ワンさんは40歳という人生の折り返し地点を境に、必死に生きないようにしよう、と仕事を辞めた。
何のために必死になってい働いているのか。小さな疑問が積み重なり、抑えきれず、40歳の記念に無職達成!と自虐している。
何かあてがあったわけではない。
勢いで仕事を辞めたワンさんは、不安と迷いの中、道を進んでいて、書くことで気持ちに整理つけているようにも思える。
語彙力が乏しい私がこの本を紹介するなら、今後の人生について近所の兄ちゃん(中年)とチビチビ酒を飲みながら話をしてみた感覚になれる本。
いろいろ考えちゃう魔の時期40代。2歳のイヤイヤ期に継ぐ人生の一大期かもしれない。
かくいう私も40過ぎたころから、体のあちこちに不調が出てきて、一度立ち止まることに。
立ち止まると、いろいろ考えちゃう。
このままでいいんだろうか?とか。妙に焦ったりして。
別に不満があるわけでもないのに。
ただ、いつも考えているのは家族やペット、周りの人の事。
私については無。無だったんです。
裸で生まれ、はやばやと母の手から降ろされたのはスタートライン。
望んでもいないのに競技は始まり、私もハンさんと同じで期待に応えるべく(というより、叱られたくなかったのかな?)モヤっとした目標に向かってとりあえず走る。
外野から聞こえる声。
「ガンバレ!」
「●●ちゃんに負けるな!」
「もっと勉強しろ!」
「勉強ばかりしてても仕方ないぞ!」
「休むな!」
「努力しろ!」
「やる気をだせ!」
よくわからない基準の競技に出場中の私。いい学校に入る、ブランド物のバッグを買う、優しいイケメンと結婚する、子どもが有名中学に入学するなどの高得点を狙って日々戦っていたんだよ!
・・・ところで敵はどこですか?この競技はいつまで続くのですか?(40歳)
そこに「私」はなく、あるのは
「他人の評価する私」を妄想する私
なんてことでしょう。わけがわからない。
ハンさんも、こんな将来のために一生懸命やってきたわけじゃないと思わず辞表をポロリしたのだね。
いくら泣いても、文句言っても。何をしようがこの先にいるのは「若い私」ではなく「老いた私」。ならばせめて自分の好きなようにやって行こう。
ジタバタしても老いるのだから、力まずに、残りの人生を楽しく愉快にやって行きたい。
人生最後の日に「我が生涯に一片の悔いなし!」って言えるように。
・・・今のうちから練習しとこw
外野の声が気になりすぎる私には、ウンウンとうなづける本でした。
「危うく一生懸命生きる所だった」ぜひ読んでみてください。
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