飼っている猫ちゃん(19歳)が、1週間ほど食欲がない。
高栄養食のペーストも食べなくなり、今はちゅーるだけ食べます。
あぁ、お別れが近いんだな。と。
4年前、犬さんを見送った時、こんなに悲しくて、何もしてあげられなくて、どうしようもなくて、速く時間が経ってほしくて。最後の時は、神様に祈るしかなかった。
またこの時が来た。。と思い、今泣いている。
他人には「必ずそういう時が来るからね」とドライに言うのに、なんで涙が出るのでしょう。
そもそも、私たちは別れの時、どうしてこんなに心が揺さぶられるのでしょうか?
この感覚は、私の中では「悲しい」という言葉に結びついているんだけど
どうなんだろうか?
もっと、ああしてあげればよかった。という「後悔」?
それとも
もっと一緒にいたかった?という「無念さ」?
もしかしたら、自分にも訪れる死というものが「怖くて」泣いているのかもしれない。
この最期の時間、とても大事なことを猫ちゃんが教えてくれている気がする。
猫ちゃんは、ここ1年ほど、大きな声で鳴くようになり、私は夜中に何回も目が覚める。
食欲がなくなってからは、何度も夜中にご飯を用意し、睡眠不足。
やりたいからやっているので、文句はないけれど。
それが終わったとき、心のどこかでホッとすることも知っている。
犬さんも猫ちゃんも、沢山の事を教えてくれた。
19年間、共に過ごした猫ちゃん。
へそ天で寝ていたり、狭い所に入り込んでいたり、おもちゃを追いかけたり。
生まれて、成長して、老いて、生命活動を終える。
時間は有限だと、イヤでも思い知らされる。
その時間を共有できることは、とってもありがたいことだ。
同じく時間を共有している家族たち。
あんなに悩まされていた子どもたちも、手のかからないほど大きくなった。
もうすぐ、巣立って行くのでしょう。
悲しみにフォーカスすれば、別れは悲しくなり
感謝にフォーカスすれば、別れは感謝になり
心が落ち着かなくて、不安を紛らわすために、またスマホばっかり見てるけど😭
「今」にフォーカスしたい。
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