生きてることに意味があるのかしら?
良くない考えに、頭が覆われるようになった。
最近ずっと家に閉じこもって、本を読みすぎたのかもしれない。
こういう時は「お出かけ」に限ります。
という事で、京都の華厳寺(けごんじ)に「お話」を聞きに行ってきました。
このお寺は「鈴虫寺」とも呼ばれています。
13年ぶりぐらいかしら?3度目の訪問。
10年前とか。つい最近のように感じる。
鈴虫寺はその名の通り、鈴虫のいる寺です。
それだけでなく、鈴虫寺のお地蔵さんにお願いごとをすると、1つだけかなえてもらえると有名。沢山の人が全国から訪れています。
私は2度お願いごとをして、2度とも叶いました。
本人が叶ったと思っているので勝率100%。
前回、お地蔵さんにお礼を言っていなかったので行ってきました。
しかし、なぜに鈴虫か?購入したお守りの「しおり」に発端、はじまりが書いてあった。
台厳という和尚さまが、秋に鳴く鈴虫の音を聞いて開眼(かいげん・仏道の真理をさとること)されました。「お寺に来る皆様にも、その妙音を聞いてもらいたい」その思いをもとに、研究が重ねられ、今では一年中、鈴虫の声を聞くことができます。
台厳和尚は鈴虫の音を聞いて、さとりを開いた!
お地蔵さんが願いをかなえてくれることばかりに目が行って、鈴虫に興味はなかったけど😅今回初めて「へ~」と思った。
中村天風さんが、無念無心の境地にたどり着く手助けとして「ブザーや仏具の鈴(りん)を継続的に鳴らしていた」と本にあったのを思い出し、なるほど、鈴虫も同じような効果があるのかもしれないと変に感心した。
現在、鈴虫寺では、鈴虫マシマシの大合唱。台厳和尚のように、さとりにたどり着くには大音量すぎるかもしれない。でも、1匹2匹いるだけだと鈴虫寺と名乗るには弱いし・・・。致し方ないのかなと邪推する。ふふ、おもしろいな😊
最寄駅の阪急嵐山線「松尾大社駅」から徒歩で向かう。日傘持ってきてよかった。
10時30分ごろに到着して、並ぶ。列は石段の下まで来てました。
運よく10時40分からの法話に入れる。GWはUSJも真っ青の3時間待ちがあったそうです。そりゃ大変だ😱
鈴虫寺では、最初にみんなで和尚さんのお話を聞いて、その後お守りを買ったり、お参りをしたりできます。法話の開始時間は鈴虫寺ホームページでお知らせされています。
石段を登り、お地蔵さんの前を通り過ぎる。前の回で参拝された方がお願い事をされています。
受付で志納料を払い、鈴虫の鳴き声が響く、お座敷に入ります。
座布団の前の長机には、名物?のお菓子が用意されています。
時間が来て、和尚さんのお話が始まりました。
このお話が聞きたかった。
東京、三重県、佐賀県、全国各地から皆さん集まっています。親子、夫婦、友人、修学旅行生、もちろん一人で来ている方も沢山います。遠く離れた別々の場所で暮らす「知らない人同士」が同じ空間を共にすることに、不思議な気持ちで胸がいっぱいに。
30分間お話を聞きながら、メモを持ってこなかったことを後悔した。
大事な事3つを紙に書いて掲げていらっしゃったが、それは忘れた😅
和尚さんのお話は、聞く人やその人の状態によって、響く場所が違う。全部覚えておきたいと思ったけど、それは欲張りすぎかな?今の私の解釈は、以下に( ..)φメモメモ。
自分ばかり悩むようなことが起きて、他の人が順調に見えるかもしれないが、どこのどんな誰にでも「波」はある。良いこともあれば、良くないことも起きるのが人生。良くないことが起きても、人間はそれを流して行く事ができる。そのために心を掃除しておきましょう。どうやって?自分の心と向き合う事です。現代の人は、隙さえあればスマホ、暇さえあればスマホ。朝から晩まで情報が流れ込んでくる。これでは自分の心と向き合う時間がない。
帰る場所がある事、ご飯が食べれる事、今日ここに来れた事。当たり前のように思えるが、そうではない。健康と同じで、それを失った時にありがたさに気づく人が多い。今に心を向ければ、それに気づける、感謝ができる。
本も情報だし、次から次へと読んで、自分の心と向き合う時間を失っていたのかもしれない。
「今この時」に心をやる練習をすると、自分に向き合える。
はたから見れば、無駄に見える、そんな何もしてない(ようにみえる)時間が心を柔軟にする。スマホ見たり、本を読んだりもするけど、自分の心と向き合う時間もとろう。
今回の「お出かけ」とっても良かった。
お願い事がない方も「気づき」が得られます😆
京都に行った際は、ぜひ足を運んでみてください。
ありがとうございました。
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