仏さまが半眼なのはなぜ?【持たない暮らしのすすめ】感想

【読書】の記録

こんにちは。😊


先日読んだ本の感想を書きます。まとめるのって難しいですね。


この本を読んで、見栄や固定観念について考えました。


親は見栄と固定観念の塊みたいなものなので、みんなそんなもんなんだろうと思っていましたが、それが今まで自分を苦しめていたとは。


きっかけは、たまたま読んだ新聞読者相談コーナー。


その回答が、何だかひきつけられる文章・言葉だったんですよ。


怒りと悲しみに満ちた相談者を「辛かったですね」といたわり、一歩間違えれば相手の心を閉ざしそうなことを、真っ直ぐで、心にすっと入る言葉で諭す。


相談に答えていらしたのは川村妙慶さんという僧侶。


あーわかった、私は文章に仏様のまなざしを感じたんだ!(むぎは正常に稼働しております)


すごいぞ!妙慶さん!新聞という媒体でも仏の教えが伝わりましたぞー!


もっと妙慶さんの文章を読んでみたい!!と思って調べてみれば本を出していらっしゃるじゃないですか。


早速借りてきた(ありがとう図書館😭)


読んだのはこちら

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表紙にはにっこり・・・


いいや、これは「はんなり」だ!


はんなりとほほ笑む妙慶さん。


小さい頃よく助けてもらっていた幼馴染の女の子にどことなく雰囲気が似ていて、勝手に親しみを覚える。


しかしこの本!


はんなりとほほ笑む妙慶さんとは裏腹に、妙慶さんの体験や相談された内容がキツイ


しょっぱなから、妙慶さんに届いたメール。

地震で倒壊した瓦礫の中にいます。私は死ぬのかもしれません。
こんなことならもっと人に優しくしておけばよかった。

妙慶さんご本人も

嫁いで10年になるお寺に自分の部屋がもらえない。
風邪をひくと「うつるからホテルにでも宿泊してくれ」と言われる。


聞いてるだけで私の豆腐(めんたる)はぐちゃぐちゃよ!


僧侶の日常茶飯事ってこんなに激しいの?😨


仏門にある人はそれこそ怒りや欲とは無縁の生活をしているかと思えば

私も僧侶といえども人間なので落ち込むことはあります。

福袋を買うのが好きでした。

という妙慶さん。


自分の中に起こる感情を否定することなく、「これもまた私」と受け入れ、受け止めながら生きていく。


いい人を演じてしまう、

断れない、

~してくれない、

~あるべき

私の苦しみはすごい、

~してあげたのにお礼もない。



ついついそう考えてしまうのは人間ですもの、仕方のないこと。


その都度「それも自分」とありのままを認め、反省して自分も相手も大切にすればなんとかなる。


仏さまが半分だけ目を開けている「半眼」なのは、カッと目を見開いてすべてを見ようとするのではなく、半分見て半分流すくらいがちょうどいいという教えらしいです。


私たちは何か問題があって苦しむのではなく、自らが問題を見つけ出し、作り出し苦しんでいるのだと妙慶さんはおっしゃいます。


根っこにあるのが見栄価値観


それに気が付いて、求めたり期待したりしてしまう心を平坦に近づけることができればなにか新しい考えが見つかるかもしれない。


妙慶さんの体験談を読んでいると、私の心は平坦とは程遠いなぁと感じます。豆腐は崩れた。😲


なかなかに難しい教えでしたが、自分の生活に当てはめて考えてみよう。


腹の立つことや嫌なことがある

瞬間沸騰ごとく怒りが沸く

爆発しないよう我慢する

意外な方向に転がる

めでたしめでたし


みたいに決着がつくことがあるかもしれない。


怒りを相手にぶつけてたらきっとこの「めでたしめでたし」にはたどり着けないし、そこで終わりになると思う。


爆発しないように我慢するのが私には難しいので、怒りが沸いたらこれ、ってクールダウンするための何かを決めておくことにしよう。そうだなぁ、その場を離れるでやってみよう。


僧侶だけど端々にお茶目さを感じる川村妙慶さんの本、よかったら読んでみてください!

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