“普通こうでしょ!” を押しつけて、私は荒野にひとり立っていた話

心のモヤモヤを解きほぐすヒント
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「正しい」は、1つじゃない

最近思うのです。

答えって、1つじゃない。

いや、むしろ人生って、そんなことばかりなんじゃないかと。

その人にとっては正しい答え。

でも、私にとってはアウト。

他人と私の「心地よい」は、だいたい違う。

これを知っておくだけで、世の中のほとんどのことが

「そんなこともあるわな」

で済ませられるようになる……かもしれません。

日本ではマナー、でも国が変われば?

例えば食事のマナー。

日本では、お茶碗を持って食べるのがマナーですよね。

でも、韓国では器を持ち上げず、スプーンや箸で食べるのが一般的なんだそうです。

さて。

どっちが正しいんでしょう?

……答えは、たぶんどっちも正しい。

ただ、育った環境が違うだけ。

日本で育った私には、お茶碗を持つ方が “ 心地よい ” 。

それだけの話なんですよね。

「普通こうでしょ!」で周りが荒野になった

昔の私は、自分の考えしか見えていなくて、

「普通こうでしょ!!」

と思ったことを、周りにぶつけていました。

するとどうなったか。

私の周辺一帯は、見事に荒野と化した。

荒れ地にポツンと一人。

「あれ?なんでこうなった?」

って。

今思えば、自分の “ 正しさ ” を振り回していたんですよね。

そして相手は、なんだか嫌な気分になって、去って行く。

当時の私にとっては、

「自分が思うこと以外は間違い」

でした。

だから壁にぶつかるたびに、ほかに道を見つけられず、苦しんでいました。

どうしたらいいか分からず、長い間、地べたをずるずる這い回っていました。

自分で自分の首を絞める考え方だったんですよね。

以前、こんな話を聞きました。

「今、周りにいる人は今の自分に釣り合った人」だと。

自分の “ 正しさ ” 以外、目に入らなかった頃。

私の周りにいたのは、いつも不平不満を言っている人でした。

今思えば、私自身も相手の意見を受け入れられず、
「それはおかしい」とぶつけていました。

結局、私も同じことをしていたんですよね。

そう気づいた時、ちょっとショックでした。

じゃあどうしたらいいか。

お互い、ちょうどいい距離で生きたらいい

人には、それぞれ ” 心地よい距離感 ” があります。

近すぎると 苦しい。
遠すぎても 寂しい。

もし誰かといて

「この人の考えが納得いかん!」

そう感じるなら、相手との距離を少し変えてみるのはどうでしょう。

モヤモヤするなら、少し離れてみる。

関係を断つというより、その人以外の人や、別の物事に目を向けてみる。

すると、不思議と相手のペースに巻き込まれにくくなります。

そうやって、自分なりの距離感を見つけながら生きている人はとても楽しそうです。

子どもにも “ 人との距離感 ” を学ぶ時間が必要

だから私は、

小さい頃から、ちょっと嫌な思いをすることが大切なんじゃないか

と思っています。

それが「自分なりの距離感を見つける練習」になると思うから。

人との摩擦ゼロで生きることって、たぶん難しい。

社会に出れば、とんでもない人にも出会う。

その時に必要なのは、

攻撃する強さだけじゃなく “ かわす力 ” なんじゃないかと思うんです。

攻撃だって、当たらなければダメージゼロ。

ヒラリとかわす。

それも、立派な強さ。

「へぇ、そんな風に考えるんや」でいい

みんな、

「こうだな」
「ああだな」

と、いろんな角度から物事を見ながら生きています。

「あなたの考えはおかしい」というようなことを真正面からぶつけられたら

相手は、逃げるか、反撃するかしかないです。

だから、

「へぇ、そんな考え方なんやね」

くらいの距離感でいられたら、案外平和なのかもしれません。

自分の “ 正しさ ” を押し付けるより、
少し距離を取って、お互いの世界を並べてみる。

もし、相手が “ 正しさ ” を押し付けてきたら

心の中で「私もそんな時がありました」と思い出し、1歩2歩と下がる。

違うのが普通。

そう思えるだけで、人との関係は少しラクになる気がします。

ドライに聞こえるかもしれませんが、それくらいの距離感が、お互いちょうどいいのかもしれないなと考えています。

そして何より――

荒野にポツンと一人にならずに済む。

読んでいただき、ありがとうございました。
人間関係に悩む時間が、お互い少なくなりますように。

それでは!

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