どれが正解?何を信じればいい? 目覚めたい| 自分の意思で生きるための第二歩

心のモヤモヤを解きほぐすヒント
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

人間社会の歩き方「目覚めるとは何か?」を見つける手引書【2】

正反対の情報に振り回される時代

最近、ふと気づくと
「何を信じればいいの?」という場面ばかりです。

例えば、健康にいい食べ物について。

・白米は悪だ!

・ご飯こそ日本人の源!

・果物は砂糖より悪い!

・果物は体に良い恩恵がある!

・サプリで補え!

・サプリは負担が大きい!

・プロテインでタンパク質を!

・プロテインで腎臓悪くした人が来る!

……もう、どれやねん。

誰かが「これがいい!」と言えば、
必ずどこかで「いや、それは悪い!」と言う人がいる。

どれも“それらしく”聞こえるからこそ迷うんですよね。

神社の作法でさえ、言う人によってバラバラ

健康だけじゃありません。

神社の参拝でさえ、こんな感じです。

二礼二拍手一礼

三拝三拍手一拝

二礼四拍手一礼

二礼二拍手(ゆっくり)一礼

二礼二拍手 → お参り → 二拍手 → 一礼

……増えすぎじゃない?

しかも、教えている人はそれぞれ
「目に見えない存在にこう聞いた」と言う。

その言葉が否定できないからこそ、余計に混乱する。

みんな善意で言っているから、なおさら迷う

健康法も、参拝作法も、
おそらくどの人も “良かれと思って” 発信している。

「これがベストだと思ってるから」

「私はこう聞いているから」

その人たちが大切にしているものを伝えてくれている。
だからどれも立派で、どれも説得力がある。

でもその分、あれもこれも耳に入ってくる受け取る側は
余計に混乱するんですよね。

そもそも、その人と私は同じじゃない

情報が混乱を生む理由は、もうひとつあります。

私とその人は、そもそも違う人間だから。

生まれた場所、年齢、体質、生活習慣、価値観……
違うところの方が圧倒的に多い。

誰かにとって“ベスト”の健康法が
自分にはまったく合わないこともある。

だから “他の誰かの正解” が
そのまま “自分の正解” になるとは限らない

結局「試してみて、自分で決める」しかなかった

私自身、いろいろ試しました。

たとえば玄米。

最初は調子が良かったのに、続けていくうちに
なぜか体調が落ちてしまった。

「健康にいいはずなのに…?」と思っても、
体は正直なんですよね。

結局私は、玄米にこだわるのをやめ

“何を食べるか” より “どう食べるか”

に意識を向けるようにしました。

以前は「無農薬の玄米じゃないと!」とこだわっていましたが、その ”こだわり” こそが体調を下げている可能性に気づいたんです。

自分の食べ物は自分で作る!と言いたいところですが、現実には難しい。
だから、スーパーや宅配でその時に手に入るものを感謝の心で買わせてもらう。

腹八分目で、よく噛んで、美味しく食べる。
その方がずっと調子がいい気がします。

神社の参拝も「自分が心を込められる方法」にした

参拝作法もいろいろ試しました。

私は、人がいる場所だと気になってしまい、
なじみのない作法をすると、逆に集中できないことに気づきました。

だから今は、その神社ごとに案内されている

・二礼二拍手一礼

または、

・その神社固有の作法に決めました。

その方が落ち着いて、心も込めやすいから。

自分の“感覚”を信じることが、目覚めの第二歩

情報があふれるこの時代に
「正しい答え」を探し続けるのは大変なこと。

でも、だからと言って
“全部なかったこと”にするのはもったいない。

大事なのは、

極端にならずに試し、自分の感覚を聞くこと。

「これは、私にも当てはまる?」と一度立ち止まること。

その小さな感覚こそが
“自分の意思で生きる” ことにつながり

このシリーズで探している
“目覚め”の第二歩なのだと感じています。

スポンサーリンク

コメント