私が思う最高の日々――毎日なんだかんだでそれなりに楽しくやっている

暮らしの価値を再発見
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どんな生き方が「正解」なのか。
私たちは日々、自分の選択に迷いながら生きています。
そんなとき、ふと思い出すのは、家族の姿でした。


生き方に迷ったとき、誰を思い出しますか?

「どんな生き方をしたらいいのか」
ふと、そんなことを考える日があります。

迷ったときのヒントは、意外と身近にあるのかもしれません。
それは、自分の親や、おじいちゃんおばあちゃんの生き方です。

彼らのように生きたいと思うか、それとは違う道を歩みたいと思うか。
まずは、そこから考えてみてもいいのではないでしょうか。


今と昔の「選択肢の違い」

私の父ぐらいの世代までは、そもそもの選択肢が限られていました。
親のやっていることを引き継ぐのが当たり前。
人生には「この道しかない」と思っていた人も多かったはずです。

一方、今の時代は自由です。
でも、自由すぎて迷いも多くなっている。

SNSには「いい感じ」の暮らしがあふれ、
比べるたびに、自分が小さく見えてしまう。


普通の家族、普通の暮らし

私の家族は、特別な人たちではありません。
毎日仕事に行き、派手に遊ぶこともなく、ささやかな趣味を楽しむ。
そんな「普通さ」が、若いころの私には退屈に見えました。

「こんな生活、何が楽しいの? 私は違う生き方をする!」
そう思って家を出た私ですが……


気づけば、親と同じ暮らしをしている自分がいた

いま私が好む生活は、
人と無理なく付き合い、仕事をして、たまに旅行に行き、趣味を楽しむこと。

……気づけば親と一緒やん。


隣の芝は青い。でも、本当の幸せは?

誰かの暮らしが、キラキラして見えるのはよくあること。
でも、楽しいことも続けば当たり前になり、ありがたみが薄れる。

だからこそ、
ほどよく楽しく、ほどよく嫌なこともある毎日がちょうどいいんじゃないんでしょうか。


「それなりに楽しくやっている」毎日が、最高の日々

毎日なんだかんだで、それなりに楽しくやっている。
それだけで、周りの人たちにも笑顔が広がって、穏やかな時間が生まれている気がします。

大きな夢を追いかける人も、毎日の小さな幸せを大切にする人も、できることは一緒。

まずは、手の届く範囲で、目の前の人と向き合うこと。
小さな関わりが、日々をつくっていきます。

そんな日々の積み重ねが、いつか思いもよらない未来につながるのかもしれません。


最後に:できることは、目の前のことだけ

大きなことをしなくてもいい。
今できることに集中していれば、不思議と余計なプレッシャーは流れていきます。

それなりに楽しく。心穏やかに。

それが、私にとっての最高の日々です。

要は、「普通バンザイ!」ってこと!

退屈に見えるかもしれませんが、満足度は高いです^^

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